もうだいぶ昔の話になってしまいますが
この世界の片隅にを手がけた片渕須直監督は若かりし頃
虫プロにおられました
うしろの正面だあれという海老名かよこさんの戦争体験映画で
片淵さんは演出助手でした
松田は原画参加で映画途中かよこさんが米空戦闘機の機銃掃射
に出くわすシーンが出てきました
はて、困りました
戦後生まれで戦争経験はありません
資料を調べても地面に着弾しているところの物はありませんでした
仕方なくいろいろな戦争映画ビデオを借りてきてたくさん見ました
そして自分なりに書き上げて提出しました
その当時の雰囲気が出ている作画を思い返して今回見つけました
火垂るの墓の機銃掃射シーン
着弾は小さくこじんまりしています
そしたら片淵さんが来られて
いやいや戦闘機からうってくる機関銃の威力はそんなもんじゃない
土煙はもっと高くのぼるはずだ
なるほど
そこからやり直し作画を始めました
作画を終えるとクイックアクションレコーダーという
動く画面が即見れるものに取り込み片淵さんチェック
まだ全然迫力出てないよー
そのやりとりをえんえん半月続けました
アニメが仕事ですから1日10時間14日間同じものを描き続けました
やっとオッケイが出たときには捨てた動画用紙は500枚ぐらい
になってました
完成画面
ほんとにほんとに短いシーンですが情熱をかたむけて製作していました
(機銃掃射の火垂るの墓とどっちが正しいのかという話ではありません)
また片淵さんは決して妥協せず熱心に付き合ってくれました
片淵さんを知る者として素晴らしい映画を作られてほんとうに
喜ばしく思いました
見て何度も泣いてしまいました
話しのうしろの正面だあれの前には宮崎駿監督の魔女の宅急便
当初は片淵さんが監督する予定でした
有望な若手を育てなくてはという思いもあったようです
最初キキが草原でラジオを聴きながら旅立ちを決心するシーンで
湖畔のキラキラをどうやったら出せるか虫プロのクイックアクションで
実験しておられました
そうこうしているうちにスポンサーが 宮崎が監督しないなら金出さん
という話で演出助手にまわされてしまいました
詳しい話はわかりませんが当時事情のわからない松田は
なんだ結局宮崎さんが監督されるんだと落胆した覚えがあります
今となっては片淵さんが監督されていたらどういうふうになっていたかはわかりませんが
カメラワークの素晴らしさは演助片淵さんの力もきっとあると思います
その時動画マンだった松田を魔女の宅急便に呼んでくださりたずさわることができました
初めて行ったジブリではアニメ会では有名人ばかり
金田行伊功
森本晃司
二木真紀子
賀川愛
奥に宮崎駿
etc..
貴重な体験ができたのは片淵さんのおかげです
この世界の片隅にに出てくるすずさん
片淵さんの奥さん
なにがソックリなのかといいますと
あののんちゃん声当てしてますところのおっとりかん
忘れっぽいおっちょこちょいかん
ご主人虫プロに来ておられた関係で奥様浦谷さんも
原画マンとして虫プロに来ておられました
車の免許取るのにも本免落ちること数しれず
40数回と言っていたようなうろ覚えですが
取れた時には虫プロスタッフ全員で拍手喝采喜び合った覚えがあります
そしてドライブに行ってもいつの間にか反対方向に走っていたとか
ところが映画のすずさんのイメージとは全然結びつかないものがあります
それは原画のうまさはやさです
うしろの正面だあれでご一緒しましたが
松田が1ヶ月20カットほどしか描けないのに
劇場用でありながら100カット描いておられました
もう頭のうしろ殴られたような衝撃でした
しかもうまいんだし
しゃべり方雰囲気からは想像もつきません
ジブリ関係の人たちがいかにすごい人たちか
机を並べて実感しました
うしろの正面だあれはあのお二方が参加したおかげで
絶対良くなったのだと思います
(もちろんうしろの正面監督された有原さんの手腕もあってのことだと思います)
今回のこの世界の片隅に での細かい演技、画面構成、浦谷さんの力が
いかんなく発揮されたのではないかと思います
また監督としましてもすずさんの参考が近くにおられて
助かったのではないかと思います
想像ですが
魔女の宅急便 1989年ジブリ制作
うしろの正面だあれ 1991年虫プロ制作